コンスタンチン・チュー(1)

コンスタンチン・チュー

ここで歴史の「if」があるのです。なぜコンスタンチン・チューがオーストラリアに来たか。1991年にシドニーで世界選手権でスカウトされて心が動いたのもあるが、ソビエト連邦が解体したのです。それで1992年に彼女と一緒にオーストラリアに移住したのです。

ここで仮定法過去になりますけどね、1991年オーストラリアで世界選手権が行われなかったら、コンスタンチン・チューが優勝しなかったら、ビル・モルディがスカウトしなければ。オーストラリアでティム・チューの活躍はなかったのです。人の運てどうなるかわからないですね。

コンスタンチン・チューはアマチュアで270戦やって負けたのは11回だけなのです。だから259勝11敗。ところがティム・チューはアマチュア歴が伝わってこないのです。それほどやってないんじゃないかと思いますね。

コンスタンチン・チューについて調べた話しがあるのですね、1991年世界選手権でオーストラリアで優勝したのです。その時にジャーナリスト出身の資産家のビル・モルディがスカウトしたのですよ。それでその時にまだ結婚していない彼女を連れてオーストラリアに移住してそれで生まれたのがティム・チューなのです。

コンスタンチン・チューの場合は仕留めるのが早かったですからね。1発の力というのはティム・チューよりずっと上ですよね。(コンスタンチン・チュー)

親父さんのコンスタンチン・チューの場合は微妙な足捌きで相手のパンチをよけてましたよね。目が良かった。目で外すのが上手かったですね。(コンスタンチン・チュー)

オーストラリアのプロモーターにスカウトされてオーストラリアを拠点として育っていったわけですね。オーストラリアだけでなしにアメリカでも人気ありましたよね。(コンスタンチン・チュー)

メキシコの英雄チャベスでさえやぶった強打者で、その独特の防御勘で打たせない。それで自分のパンチはジャストミートさせる。そういう決した選手でした。(コンスタンチン・チュー)

ティム・チューというのは偉大な父親コンスタンチン・チューの息子なんですけどね、地域タイトルを奪ってWBOは世界1位を2年間維持して、世界挑戦待ちだったのですけど、チャンピオンのチャーロが怪我したために試合が無くなって、それでこの暫定王座決定戦になったのですね。

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